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先日電車に乗っていたら、... : 2017-02-01 08:50:51 コメント 2件 共有 2人
先日電車に乗っていたら、隣に中学生くらいの女の子が座っていました。 かわいい子だったので、手元のスマートフォンを操作している振りをしながら、横目でチラチラと見ていました。 すると、あろうことか、彼女は席を立ってしまいました。 ジロジロ見過ぎてしまったことを反省しましたが、しかし、どうやら私の視線が気になって席を立ったわけではないようです。 理由はすぐに明らかになりました。 「どうぞ」と目の前のお年寄りに席を譲ったのです。 深く恥じ入りました。 気が利く、気が利かないとはなんでしょうか。 彼女は気が利く人です。 一方、私は気が利かない人です。 これは明らかです。 でも、ここで問いたいのです(決して言い訳のためではなく)。 気が利かない人は、その時、自分を「なんと気が利かない人間だ」と残念に感じているでしょうか。 きっと感じていないでしょう。 なぜなら、そもそもそのお年寄りが困っているという事実に気づいていないからです。 気づいていてわざと席を譲らなかったら、それは気が利かないとは言いません。 単に意地悪なだけです。 つまり、人は、 「自分がいかに気の利かない人間か」 を知ることができないのです。 ところが、他人が気が利かないことはすぐに気づき、指摘したり憤慨したりすることができます。 私がこんなに気を利かせているのに君はけしからん! おそらく現実の自分は、自分に対して抱いている自己像よりも、気が利かない人間であることは間違いないでしょう。 これは気が利く気が利かないだけの話ではありません。 日常生活全般において、似た状況は少なくありません。 結局のところ人は実際のレベルよりも自分を高く評価することになります。 たとえば、日常的に車を運転する生活を送っている人に訊いた調査結果があります。 「あなたは平均よりも運転がうまい方ですか?」 この質問のポイントは「平均より」という点です。 抜群に優れている必要はありません。 あくまでも平均に比べたら「まあマシな方かどうか」という判断です。 このアンケートの結果は驚くべきもので、なんと70%の人が「私は平均以上です」と答えるのです。 70%という値は平均値の概念にそぐいません。 つまり、多くの人が「自分は平均以上にデキる」と勘違いしていることがわかります。 ただし注意してください。 このデータは、正しく自己評価できている人がいないと主張しているわけではありません。 では、どのような人が正しく自己評価でき、またどのような人が自己評価を誤る傾向があるでしょうか。 そんな研究をしているのが、コーネル大学のダニング博士とクルーガー博士です。 たとえば博士らは、ジョークを楽しむ能力について調査しました。 ユーモアは洗練された知識と機知がないと理解できません。 65名の大学生を対象に、30個のジョークを読ませ、どれほど面白かったかを評価してもらいました。 この点数でユーモアの理解度がわかります。 これと同時に「あなたのユーモアの理解度は同年代の中でどのくらいに位置していると思いますか」と訊きました。 調査の結果、ユーモア理解度の順位の低い人ほど自己評価の高い傾向があることがわかりました。 成績下位25%以内の人は、平均して「上位40%程度にいる」と自分を過大評価したのです。 一方、成績上位25%以内の人は「上位30%程度にいる」と過小評価していました。 つまり実際の能力の個人差は、人々がイメージする差よりも、はるかに大きいということになります。 なお、この現象はユーモアだけでなく、論理的思考力や一般学力試験にまで、普遍的に見られます。 博士らは、この現象を次のように説明しています。 1.能力の低い人は自分のレベルを正しく評価できない。 2.能力の低い人は他人のスキルも正しく評価できない。 3.だから、能力の低い人は自分を過大評価する。 もちろんこの結果だけでは「能力が低いから自分を客観視できない」のか「自分を客観視できないから能力が低い」のかはわかりません。 しかし、この研究は心理学では広く認知され、博士らの名前にちなんで「ダニング=クルーガー効果」と呼ばれるようになりました。 この効果の面白いところは、ダニング=クルーガー効果について初めて知った人の多くが「たしかに自分を勘違いしている人はいますね。 身近な人の顔が具体的に思い浮かびますよ」と笑顔で答えてくれることです。 つまり多くの人は「まさに自分が該当する」かもしれない可能性に思い至らず、自分を棚に上げて、他人に例を探し始めるのです。 これこそが冒頭で説明した「気が利かない人は自分の気の利かなさに気づいていない」ことに相当します。 これもまたダニング=クルーガー効果の亜型で、とくに「バイアスの盲点」と呼ばれます。 いずれにしても、ここで見逃せないポ

人は両親に命を宿してもら... : 2016-09-15 12:54:06 コメント 2件 共有 2人
人は両親に命を宿してもらいます。 これを「宿命」といいます。 選ぶことはできません。 しかし、宿してもらった命を運ぶことはできます。 運ぶといろいろな人に出会うことができます。 これを「運命」といいます。 また、人は何かに命を使います。 これが「使命」です。 そして最後に命を終えます。 しかし、「終命」とは言いません。 「寿命」といいます。 寿命の「寿」は「寿ぐ(ことほぐ)」と読みます。 命に「ありがとう」と声をかけてあげることです。 だから、人は一人で寿命を閉じることはできません。 多くの人から、 「ありがとう。あんなことがありましたね。こんなこともありました。」 と声をかけてもらわないと寿命を閉じるのとができないんです。 また、病院などにいて、容態が悪いときでも、耳は聞こえています。 できるだけ声をかけてあげてください。 「声をかける」ことは、死を迎えつつあるとき、そして死を迎え、この世から身体が消えていく過程において、非常に重要なことです。 故人にとっても、送る人にとっても、心のケアになります。 日本人の多くは仏式で葬儀をします。 最近は簡略化される傾向にありますが、それぞれの儀式には長年継承されてきた意味があります。 特に重要なことは、故人をこの世からあの世への旅に送るという思想です。 白装束の経帷子や足袋や脚絆、杖、編み笠など仏式で用いるものは旅支度です。 亡くなった人が歩いて旅に出るというのは矛盾した話ですが、日本に仏教が伝わってからおよそ1500年の間、継承されてきた「死の迎え方の知恵」です。 「元気で歩いて行ってね」 「先に行ってね。いつかまた、会いましょう」 と涙しながら送ってあげましょう。 声をかけ続け、旅立たせてあげましょう。 「泣く」という字は「さんずい」に「立つ」と書きます。 いつか立ち上がっていくことができます。 「涙」という字は「さんずい」に「戻る」と書きます。 流した涙から、いつか笑顔が戻りますよ。

安定という妄想を追っては... : 2016-09-13 22:52:09 コメント 2件 共有 1人
安定という妄想を追ってはいけません。 不安で良いのです。 起きた問題に対応することは、決して安定を作るためではありません。 結婚したからといって、パートナーが貴方に付いてきてくれると思ってはいけません。 数日で出ていくかもしれないのです。 お互い仲良くすることさえ、日々の勝負なのです。 必要なのは不安を無くすことではなく、「物事はどうなるか分からない」という 「無常の真理を認める勇気」 なのです。 世界が狂っているのは、無常は嘘だと思っているからです。 しかし、無常でなければ生きて行けません。 細胞一個一個が無常だからこそ、やっと生きています。 ならば全体もそうでしょう。 何か安定した境地が欲しいと、俗世間のなかで探すことほど極端な無知はありません。 人に永遠の霊魂があるということほど、人を地獄に堕とす嘘はないのです。 安定願望はとても危険です。 自分の家が火事になる筈がない、と思っている人は危険です。 「不安があるからこそ、人間は生き残る」 私達はいつでも、いまだかつて遭遇したことのない問題にぶつかります。 常に気付きを持って「この場合はこうします」と、日々の努力で具体的に生きることが必要です。 祈祷したり、風水を気にしたり、そんなことで経済状態が良くなると思ったら勘違いです。 責任逃れです。 壁紙の色で気分が悪くなったら、ただ気分の問題だと思って、気に入った壁紙に替えてください。 風水の蘊蓄はいらない。 モノや観念に頼るのではなく、自分の判断能力で具体的に物事を観れば、不安な世の中で無事に生きることができるのです。

今年は太平洋戦争戦後72... : 2017-02-01 07:58:38 コメント 2件 共有 1人
今年は太平洋戦争戦後72年、日露戦争終結から102年、阪神大震災から22年、地下鉄サリン事件から22年にあたり、節目の年と言われています。 特に、太平洋戦争で日本は300万人といわれる多くの命を失いました。 明治から昭和のはじめ活躍した日本民俗学の開拓者で「日本人とは何か」その答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行した柳田國男(やなぎた くにお)というかたがおられました。 その柳田先生が魂の行方について渾身の力を込めて迫った著作がある。 昭和20年燈火管制の中で書かれた『先祖の話』という本です。 柳田先生は、 「この度の戦争によって国民の生活は底の底から引っかきまわされた。少なくとも国のために戦って死んだ若人だけは何としてもこれを仏教のいう無縁ぼとけの列に疎外しておくわけにはいくまいと思う。」 そんな思いから魂はどこへ行くのか、柳田先生が『先祖の話』で繰り返し説いたのは、山中他界と呼ばれる他界観。 人は死すとその魂は郷土の近くの山に登ってゆくという、日本に古くから伝わる考え方。 昭和32年NHKラジオ朝の訪問では、昔から日本人が考えてきたのは、だいたいどの辺に先祖の霊がいるのか。 「私は里の見える山の上にいるのだと、子孫のことを考える気持ちがあったら、子孫の田園の見えるところ…(中略)…山の見えるところだと必ず山を祀るのです。 田植えの初めに…(中略)…理由があるのですね、山から水が流れてくるでしょ、その水が田を養うのですから。 こんなきれいな水を上から送ってくれる人は親切な人に違いない、我々の繁栄を念じている人に違いない。 丘の上から皆を見下ろしているというイメージは、逆に生きている人から見れば、いつも見られている、見守られているという感覚になるのかもしれない。 見てくれているんだよ、そばにいるし…(中略)…その見守られているとう感覚が、人々を励ましたり、元気づけたりする。」 柳田先生は、人は死ぬとその魂は先祖の霊になるとした。 その上で先祖の霊・祖霊は子孫の耕す田んぼごとに降りてくる家の神になると主張する。 日本人の神と霊魂の観念で先生は、 「必ずある定まった家の田にのみ降られる神がすなわちその家の神であり、それがまた正月にも盆にも同じ家に必ず降られる祖神だったろうということを、私はもう民間伝承によって証明しえられるとも思っています。」 魂になってもなお生涯の地に留まるという考えは、至極楽しく感じられる。 できるものならば、いつまでもこの国にいたい。 そうして1つの文化のもう少し美しく展開し、1つの学問のもう少し世の中に寄与するようになることを、どこかささやかな丘の上からでも見守っていたいものだと思う。 柳田国男が至った他界観や魂の行方についての考え方とは、先祖の死者達がいずれ神になる、そしてお盆などに家に帰ってくるという信仰ではないだろうか? 現代日本において先祖の祖霊が帰って来るべき「家」のありかた。 つまり社会や家、家族への帰属意識が大きく変容し、個人主義が日本の儀礼文化を衰退させているように思える。 そして儀礼文化の衰退は先祖を祀るという考えを喪失させていった。 あらためて、通過儀礼や慰霊や追悼の意味を今一度考えてみる必要があるのではないでしょうか?

【生き方はただ行動で示す... : 2016-10-07 09:23:47 コメント 2件 共有 1人
【生き方はただ行動で示す】 明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より… 「自分はこう考えている」「こんなふうにがんばっている」などと、口に出す必要はない。 むしろ、それはみっともないことだと考えるべきだろう。 ヒツジはどんな草を食べたか、吐き出して見せたりはしない。 ただ、食べたものを消化して乳を出すだけだ。 人もこれに学ぶべきである。 あえて簡素な暮らしや、厳しさに耐えることを課し、自分を鍛えているような場合も、それを人に誇示することは控えたい。 ただ黙々とやればいいのである。 生き方についてどう考えているかという話になった場合も、それを仰々しく言葉にする必要はない。 生き方はただ行動で示せばいいのだ。 これは食事のマナーなど、ふだんの暮らしに関わることでも同様だ。 マナーはこうあるべきだなどと、とうとうと述べるよりも、あなた自身が正しいマナーで食べればいい。 そのほうがゆかしいし、ずっと説得力が増す。 《「ヒツジ」はどんな草を食べたか、吐き出して見せたりはしない、ただ食べものを消化して乳を出すだけだ」 理屈は往々にして「言い訳」になる。結果はつねに「雄弁」である》 『ヒルティの名著「幸福論」生かし方 自分の人生に一番いい結果を出す幸福術』三笠書房 小林正観さんはこう語る。 「一番身近な母親が楽しそうに生きているのを見て、子どもは物事は楽しいととらえれば、すべてのことが明るく楽しくなると母親を通して知ることができるのです。 ところが、一番身近な母親が不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言い続けていると、子どもはそのように物事をとらえるようになります」 学校の先生が心から楽しそうに勉強を教えていれば、生徒も勉強が好きになる。 商店の主人が楽しそうに仕事をしていれば、それを見て育った子供は後を継ぎたくなる。 大事なことは、飾った言葉や理屈で伝えるのではなく、行動で示すこと。 具体的な行動こそが本当の姿を伝える。 生き方はただ黙って行動で示せばよい。 ■新メルマガの登録と解除はこちらから http://hitonokokoro.com/ ■【人の心に灯をともす】のブログはこちら http://ameblo.jp/hiroo117/

七宝山 本山寺の五重塔 ... : 2016-09-13 17:47:41 コメント 1件 共有 1人
七宝山 本山寺の五重塔 明治29(1896)年着工し、明治43年(1910)に完成しました。 2015年9月17日解体修理着工。 初層に明治期作の五智如来が祀られています。

「布施」とは六波羅蜜のひ... : 2016-07-17 22:52:27 コメント 1件 共有 1人
「布施」とは六波羅蜜のひとつで、他人に財物などを施したり、相手の利益になるよう教えを説くことです。 釈尊は生きる苦しみから解放されるために明けても暮れても修行しました。 そのため世俗の生活はできず、出家しなければなりません。 釈尊は弟子たちにも同様の教えを説き、継続して修行するようにサンガを作りました。 サンガは「同じ生き甲斐を持つ人達が、それを追及するために作った組織」です。 そこには統率者も命令系統も成績評価もありません。 タイやスリランカの上座部では今でもサンガをそのまま維持しています。 約2,500年も続いているので、驚異的です。 その秘訣は「律」にあります。 釈尊は出家者に労働を禁じました。 出家の目的は修行だからです。 しかし、修行だけでは食べていけません。 だから社会の余り物を食べようとしました。 これが本来の「布施」です。 布施は他人の労働に頼るように見えます。 実際は他人から食べ物を貰うので、それに相応しい生活を陰日向なく継続する必要があります。 また、托鉢では金銭を受けてはいけない、そして食べ物は托鉢では受けたものだけです。 腐ったものも托鉢で受けたら食べなければなりません。 ひたすら一般社会に依存することで修行生活を保持していきます。 在家者はストイックな修行者の姿に感動し、応援することで何らかの果報があるのではないかと信じて布施をします。 社会の人々は立派な修行者だと思うから布施するので、そういう人々の信頼を裏切る行為はできません。 布施が無ければサンガを維持できなくなります。 これが「布施」の構造です。 日本仏教は、この「律」の原理を重視していませんでした。 というのは、仏教が伝来したとき、日本では為政者が鎮護国家や外交のツールとして使用したからです。 それが現代まで延々と続く日本仏教です。 現代の科学者集団、特に基礎研究の科学者たちは、実社会では直ぐに役立たないもので、その意味では真理の追及という「同じ生き甲斐を持った人々が、それを追及するために作った組織」です。 その集団を支えるのは税金、寄付金等です。 科学者集団が、いづれ私達の生活に何かよいものをもたらしてくれるという期待から布施をしているのです。 仏教の律には、 自分が悟ってもいないのに悟ったと嘘をついてはいけない という禁止事項があります。 これを犯した僧侶はサンガから永久追放されます。 許してしまうとサンガ集団が社会的信頼を失うのです。 科学者集団に当てはめると、STAP細胞事件のなるのでしょうか。 科学者集団に限らず、一般社会には「律」を犯すと信頼を失うという集団が沢山あります。 「律」を犯した組織は必ず崩壊する。 修行するのは僧侶だけではありません。

週刊長野アーカイブに載っ... : 2016-10-06 00:19:20 コメント 1件 共有 1人
週刊長野アーカイブに載っていた戸隠信仰の第5段。 戸隠神話は全部できすぎた演出だと思えることです。 それぞれ役割が決まっていて天照を天の岩戸から引っ張り出すとは。 ※※※ 戸隠神話のヒーローは、怪力で天の岩戸を放り投げたタヂカラオ(手力男命)だが、すてきなヒロインがいる。 その名はウズメ(鈿女命)! 豊満、美麗なダンスの名手だ。 天安河原(あまのやすのかわら)で、 「世の中真っ暗で困る。アマテラスよ出てきて」 と唱和した伝説では、八百万の神々の先頭で過激な踊りを披露したことで知られる。 髪に鈿(あおがい)のかんざしを付けているだけで、あとは全裸に近い姿と古事記は記す。 宗教学ではウズメはシャーマン=巫女で、神がかりする女性と定義している。 アマテラスとは意思疎通ができた。 神々の会議場=天安河原での大騒ぎがアマテラスを岩戸から導き出したのだから、ウズメこそヒロイン、立役者と言ってよい。 戸隠神話では、 「村上天皇の天暦年中に、天の岩戸開きの一座の神様=ヤゴコロオモイカネ(八意思兼命)とウワハル(表春命)とウズメの子孫が入り来た」 とする。 宝光社から中社への途中にある日之御子社(ひのみこしゃ)はウズメが祭神で、そのいわれから芸能の神様でもある。 ちなみにオモイカネは漢字の通り、思慮深くアイデアあふれる神で、天安河原の大イベントを演出したといわれている。 ところで、 「現代の天安河原はどこか、知っていますか。東京新宿の歌舞伎町ですよ。一度行って見てごらんなさい」 と戸隠の知人がささやいた。 出張のついでに教えられたミュージックホールを訪ねてみた。 300席ほどが台湾や香港、韓国からの観光団で満員の熱気。 男性は少数で、大半が中年や若い女性だ。 舞台での演技は古事記そっくり。 ツアーコンダクターは、 「この劇場、実は日本旅行の目玉なんです。儒教精神が厳しい故国では、日本のような出し物など絶対に見られませんから」。 帰りに劇場の看板を見たら「歓迎 脱衣舞3500円」と大書してあった。 日本の脱衣舞は東アジア諸国でも評判になっているようだ。 ※※※ 脱衣舞だなんて、卑弥呼の時代は常識だったのでしょうか。

東山慈照寺の総門 文明1... : 2016-07-17 23:20:55 コメント 1件 共有 1人
東山慈照寺の総門 文明14年(1482)足利義政公の建立です。 義満の北山殿(金閣寺)に対し東山殿と呼ばれました。 義政公死去後その菩提を弔うため慈照寺と称され相国寺派の寺となりました。

日本人の微笑みの意味に鋭... : 2016-08-11 19:55:04 コメント 1件 共有 1人
日本人の微笑みの意味に鋭く言及したのは、作家の小泉八雲だと言われます。 「日本人は死に直面しても微笑することができる。そして事実微笑する。そしてそのとき微笑するのも、それ以外のときに微笑するのも、理由は同じなのである。その微笑には挑戦もなければ偽善もない。また、その微笑を、われわれ西洋人がとかく性格の弱さと結びつけがちな、陰気な諦めの微笑と混同すべきではない。日本人の微笑は長い歳月をかけて丹念に作り上げられた礼儀作法の一つなのである。」 小泉八雲は微笑みを礼節の象徴とし、沈黙の言語とも捉えています。 微笑みがときに、巧みな言語の連なりより雄弁であることは、誰もが体験的に知っています。 ひどく落ち込んでいるとき、どんな慰めの言葉も受け入れられないことがあります。 ありきたりの言葉に包まれても惨めさだけが残ります。 しかし、微笑みは柔らかい光にも似て、優しさだけで心を包み込みます。 心の蟠りをほぐし、精気を吹き込みます。 「ひとつ微笑んでみることが相手の幸せに繋がる」 薄っぺらな同情や、駆け引き、思惑、打算があったのでは、偽笑とわかるものだし、微笑んでいる人も明るい光に包まれません。 微笑みを見せながら逝った人もいます。 何を伝えたかったのかを思うと涙が出ます。 それでも日本人は微笑みます。 微笑みは自分の心を清浄にする力を持った「沈黙の言霊」なのです。 今日も一回でいいから微笑んでみませんか。

【人情味がなくなったら終... : 2016-10-25 10:13:54 コメント 1件 共有 1人
【人情味がなくなったら終わり】 斎藤一人さんの心に響く言葉より… 私がお金を大事にするから、お金も私を大事にしてくれる。 私が人を大事にするから、いい人に囲まれてるんです。 大事にするっていう気持ちはね、人情なの。 そして、人間っていうのは、人情がないのがいちばん損をするようになってるんです。 人間には人間の情があるんです。 それを、人情というんだけど、人情味がなくなったら終わりなの。 じゃあ、人情って何ですかって、人に好かれるような人は、人情があふれてるの。 逆に、人に嫌われるような人間には、人情がないんです。 いばってる人、おっかない顔をしてる人、人が嫌がることを言う人…そういう人には、人情がないんだよね。 人情がない人は、何をやっても嫌われるに決まってるんです。 あのね、昔はお金を持ってるだけでもよかったの。 だけど、21世紀っていうのはね、お金を持つこともたいせつだけど、人格者になることもたいせつなんです。 人格者って言うと、難しく感じるかもしれないけど、全然そんなことないんです。 いちばんの幸せってね、お金を持っていばることじゃないんだよ。 お金を持ってもいばらないで、誰にでも丁寧にすることのほうが、実は幸せなの。 人格者って、そいういうことなんです。 いばるっていうのは、必ず弱い人に対してやることなの。 言葉を換えると、それは「弱い者いじめ」なんです。 で、弱い者をいじめている人が人気が出ることって、絶対にないんです。 正義のヒーローでも、強いやつと戦うことはあっても、弱い者と戦ってるやつはいないでしょ。 いばってると決して正義のヒーローにはなれないんです。 そもそも、いばってると周りの人間は嫌な気分になるよね。 そうやって周りの人を嫌な気分にさせたこと自体、人って損をするうようになってるんです。 いばってる人は嫌われるから、商人でもサラリーマンでも、絶対に仕事がうまくいかないんです。 お金を持っていばっちゃったら、その人は成功者じゃないんです。 だって、人から嫌われるためにお金持ちになったんじゃないでしょって。 成功者って、精神的にも成功者じゃないといけないんです。 『斎藤一人 お金に嫌われない大成功の仕組み』(千葉純一)マキノ出版 斎藤一人さんはこう語る。 「正しいことって、時代によっても違ってくるんです。 例えば、松下電器(現在のパナソニック)を創業した松下幸之助さんが現役の頃は、どんどん会社を大きくして、社員を増やさなければいけなかった。 モノのない時代だったら、世の中を便利なものでいっぱいにすることが正しかったんです。 ところが、今はモノがあふれていて、心の時代に変わってきたんです。 だから、サービスっていうのは、お客さんの心に訴えることじゃなきゃいけないんだよね。 価値のある商品に、さらに付加価値をつけて、お客さんの心を動かすサービスが必要なんです」 もちろん、モノも大事だが、今はモノプラス、心を動かす何かが必要。 その心を動かす、大事な要素のひとつが、「人情味」。 人情味とは、人間らしい心のあたたかみのこと。 心があたたかい人は好かれる。 心のあたたかい、人情味あふれる人でありたい。 ■新メルマガの登録と解除はこちらから http://hitonokokoro.com/ ■【人の心に灯をともす】のブログはこちら http://ameblo.jp/hiroo117/

写真などを投稿 : 2016-10-27 19:53:47 コメント 1件 共有 1人


須坂にも善光寺に匹敵する... : 2016-10-15 23:15:22 共有 1人
須坂にも善光寺に匹敵するほど大きなお寺があるのを知ってますか? 「河東の善光寺」とうたわれたのが大岩山普願寺(ふがんじ)です。 河東とは、千曲川の東側一帯を指します。 松代、若穂、須坂、小布施、中野までを含む地域で、同寺の門徒は長野市内を含め1500戸もあります。 檀家にとっては自慢のお寺みたいです。 「寺域は江戸時代の記録では3000坪(約1万平方メートル)。 その後、測量はしていませんが、4000〜5000坪はあるかも」 と住職の業田昭映(なりたしょうえい)さんは言います。 善光寺の本堂と山門周辺ぐらいはスッポリ入る広さですね。 春、駐車場のある黒門をくぐると桜の古木が並ぶ花の参道へ。 L字形に曲がるとケヤキ造りの巨大な正門に。 参拝客が小さく見える豪壮な本堂は18間(約32メートル)×18間もあります。 ちなみに善光寺は柱間で正面が7間、側面は16間です。 本堂前左右の赤松は樹齢ざっと300年。 一人では抱えきれない太さです。 本堂内部の格天井(ごうてんじょう)には菊の御紋。 「かつては天皇家に連なるお姫様が嫁に来ています」 善光寺の大本願と同様です。 文化活動にも熱心なお寺で、故植木等さんや、さだまさしさんらの催しを毎年開いています。 住職は雅楽のメンバーで笙(しょう)を担当。 法会や結婚式で妙なる音を披露しています。 以前、『清貧の思想』の著者・故中野孝次さんを案内した時、中野さんはモダンな圓光寺の太鼓楼(たいころう)を車窓から見つけ、 「これはしゃれている。何に使ったのか」 とお気に入りでした。 法会の開始などを太鼓で知らせた寺内(塔頭)の広報塔でした。 越後の棟梁が1894(明治27)年に造った不等辺8角形の建築物で、軒裏の木組みや窓の欄間など手の込んだ総ケヤキ造り。 棟梁も楽しみながら細工したらしいです。 普願寺のルーツは秩父の大岩(埼玉県)で、創建から700年。 約450年前に須坂市日滝から移転した際には、寺内に5カ寺を抱える広大な構想だったとか。 普願寺では「寺内とか寺中、塔頭の言葉は格差につながるので慎しんでいます」とのこと。 隣の豪商の館・田中本家が代々、信徒総代を務めています。 ぼた石積みの石垣と水路=かえでの小道=をたどれば、数百メートルで遊歩道のある鎌田山へ。 須坂市街を一望できるビューサイトです。 豪商の館と古刹に加え、鎌田山には陶芸の日展作家・境信夫さんの窯・ギャラリーもあります。

善光寺建立は642年。 ... : 2016-08-10 20:03:12 共有 1人
善光寺建立は642年。 まだ宗派というものが存在しなかった時代です。 そのため善光寺は宗派を越えて、階級や性別の差別なく本当に庶民の心の支えになりました。 善光寺は法隆寺と共通点があります。 例えば、守屋鎮魂です。 「聖徳太子 七の暗号 『太子七か寺』はなぜ造られたのか」という本に書かれた仮説だと思いますが、 「長野の善光寺は、守屋が難波の堀江に捨てた仏像を拾った本田善光が建てたとされるが、これも厩戸皇子によって守屋の怨霊を鎮撫するために創建されたという。 法隆寺の建つ斑鳩は、もともとは物部守屋の領地だったが、守屋を滅ぼした後に厩戸皇子の領地となっている。そのため法隆寺には、守屋鎮魂の仕掛けが多数施されている。創建法隆寺も四天王寺や善光寺、飛鳥寺と同様に守屋の成仏を願う目的で建てられたのである」 それから、建立の場所が北側に山、南側は東西に流れる川。 修正会という法会。 善光寺の本堂は、昔は金堂と呼ばれ法隆寺と同じ間取りでした。 時代と共に善光寺金堂は本堂と呼ばれるようになり、参拝者が多く入れるように現在の間取りに変化したのに対し、法隆寺は昔からの間取りと金堂という名称を保っています。 鎌倉時代から善光寺では、納骨儀礼が行われています。 鎌倉から善光寺まで納骨のための道もあったらしいです。 山折哲雄先生は中原中也の骨という詩、 「ホラホラ、これが僕の骨――見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。 霊魂はあとに残つて、 また骨の処にやつて来て、 見てゐるのかしら?」 を持ち出し、日本人の死生観に魂、肉体、そして骨を挙げています。 もともと神道には骨がなく、伊勢神宮のように仮設(20年で変える)なのです。 仏教では骨があり、寺院は永久と考えています。 納骨儀礼も善光寺信仰の大きなポイントです。 仏教は無常を説きます。 スマナサーラ長老は「流れ」という言葉を使っています。 私は信仰も同じ「流れ」のように思えます。 そもそも私は「自分」というもの自体が「流れ」という「現象」だと思いますが… 物理学では流れに定常という状態があり、実際は流れているが変化していないように見える状態があります。 信仰が長続きするのは、都から離れ、山と川に閉ざされた善光寺平という地域に信仰という定常流を作るのに最適だったからだと思われます。 流れは速くなると乱れ混沌となります。 ちょうど良い、のんびりした感じが昔からの信仰のような気がします。

善光寺の現本堂を再建した... : 2016-10-24 23:17:21 共有 1人
善光寺の現本堂を再建したのは松代藩。 大勧進の慶運(1664~1729年)が、集めた寄進を基に建設プロジェクトを請け負い、職能団体や商人らをまとめ、遺漏のない組織と綿密な段取りを立てたのは松代藩士。 幕府は松代藩3代藩主・真田幸道に全面的な指揮監督権を与えました。 藩主の名代は家老・小出大夫で、現場の総監督となりました。 江戸時代では全国最大級の木造建築で、藩の人材や職人を総動員。 3年がかりで、宝永4(1707)年に完成しました。 本堂の北や東公園に林立する藩士慰霊塔が松代藩の苦労を物語ります。 だから、松代の殿様の参拝は威儀を正して行われました。 大門の高札場まで馬で、駕籠に乗り換えて駒返り橋まで、山門までは歩いたと、安政年間(1854―60年)頃の古文書にあります。 善光寺には、創建された中世以来、幾多の著名人が参拝しました。 歴史好きの人にとって関心は、善光寺再建の号令をかけた源頼朝が実際に参拝したかどうかです。 明確な記録を欠き、謎のままです。 それでは、上田、真田藩の雄、真田幸村(1567~1615年)はどうでしょうか。 これも謎。 「著名な寺を日帰りで参拝して当然」 という見方と、 「戦国の経営に忙しく、寺社など眼中になかった」 と、意見は分かれます。 2016年のNHK大河ドラマは「真田丸」。 地元を舞台にする大河ドラマ化を求める動きは、全国で数知れません。 「川中島を含めて、なぜ信州ばかりなのか」 と怨嗟の声。 しかし、徳川を手玉に取る幸村と真田十勇士のストーリーに、大阪人の期待が盛り上がります。 大坂冬の陣(1614年)、夏の陣(1615年)を豊臣方で戦った幸村は、大阪人にとって、善光寺と並んで「意地とあこがれ」の代名詞。 信州といえば、この二つを連想し、「大河ドラマ・真田丸」に異議なしです。 大坂城外に築いた真田丸(出城)から、家康の陣地寝所に迫りながら、壮烈な最期を遂げた安居神社(大阪市天王寺区)が賑わいます。 幸村戦死の地と刻した石碑に並び、幸村像が建立されています。 大企業(大藩)ではなく、中小企業であった真田が知恵と工夫、忍耐の末、 「日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)」 の名を残す。 高度経済成長とその崩壊を生きた人々の共感を呼びます。 幸村は、負傷して同神社で休憩中に鉄砲で討ち取られました。 上田駅前の幸村像は馬上姿ですが、ここの像は実戦的な甲冑に六連銭(むつれんせん)を刻んだ手甲が印象的です。 休憩中の姿と強情を秘めたちょび髭の表情など、一見に値する傑作です。 高野山麓の九度山(和歌山県)に幽閉された幸村が信じたのは「南無八幡」の神か仏か、それとも無信仰だったのか、興味深いところです。

善光寺参道では石畳の整備... : 2016-10-16 19:10:31 共有 1人
善光寺参道では石畳の整備が進み、長野信金大門町支店(かつての本店)の大きなビルが消え、新しいビルに建て直し等、沿道の景色は年々変化しますが、小路などをぶらぶら歩きすると面白い景観や話にぶつかります。 江戸時代には門前で、かわら版が発行されていました。 「かわら版は現代の号外ですね。討ち入りや仇討ち、大地震や火事の話とか、もっぱら江戸や大阪で発行されたのでは。地方の門前町でも、かわら版があったんですか?」 貴重な現物が残っています。 権堂町の遊女と大門町の材木屋の息子が心中した事件のかわら版です。 縦25×横30センチ余の典型的な木版刷り。 ご丁寧にも豪華な衣装を着た遊女の後ろ姿のイラスト入りです。 文面は「所は善光寺古ん堂(権堂)におきまして、いかり屋のおまちと申すもの年19歳にて恋路に迷い...材木屋の金五郎24歳と...ぜひなく心中の次第をご覧ください」とあらります。 所蔵しているのは王子製紙の"かみはく"。 東京・王子の紙をめぐる博物館です。 今日の新聞号外と違って、かわら版には発行年月日がないので、心中事件はいつの事かは不明です。 「私たちは土地勘がないので、古ん堂(当て字)の地名が今日の権堂町とは分かりませんでした」 と学芸員が言います。 かわら版の発行が盛んになるのは、江戸時代後期から幕末・維新にかけて。 1855(安政2)年の『善光寺町絵図』(県立歴史館所蔵)を見ると、大門町に続く権堂村は「花街権堂」が特記され、ほぼ今日と同じ街区です。 材木屋は朝暗いうちに大八車に積み込んだ木材を建築現場に届けます。 昼間は棟梁(とうりょう)から次の注文を受け、夕刻までに柱や根太(ねだ)を製材して用意します。 たぶん、まじめ一方の若旦那「金五郎」の毎日でしたが、ひょんなことから越後美人の「おまちさん」といい仲に。 「いくら働いても借金は減らない...いっそのこと阿弥陀様の膝元へ」 というおまちに同情し...と推測できます。 花街の遊女は困窮した山村や上越出身が多かった。 遊女と商家の手代や番頭との色恋は、歌舞伎・落語のメインテーマです。 江戸の浅草観音や神田明神、湯島天神など繁華街で売れるかわら版を目にして「よし、善光寺門前でも」と発案した数寄者の発行と思われます。 弥次さん喜多さんの「続膝栗毛=善光寺」では、十返舎一九が門前の宿で心中事件に巻き込まれ、スッタモンダの騒ぎを描いています。 「かわら版は大きく2種類ある。事件、戦争、天災、火事、伝染病、黒船来航など事実を速報、詳報したものと、世事をネタに尾ひれを付けた虚報に近いものと。後者では、まことしやかな神仏の御利益話が代表的です。このかわら版は世相を脚色し、娯楽のタネとしてお土産の一種にされたのでは」 というのが、郷土史家の見解です。 当時の江戸かわら版を拝見すると、 「三つ子を生み、お上から12両余の褒美」 「大阪に津波、船が逆流」 「この世の終わり、安政大地震」 「役者同士の嫉妬から歌舞伎の名優・団十郎切腹」 「瞳三つの怪童誕生」 などと具体的です。 事実に加え脚色に力を入れたかわら版は、今日の週刊誌、女性誌にも似ています。 善光寺土産も、毎度酒蒸しまんじゅうでは飽きてしまっていたのでしょう。

折口信夫「死者の書」 で... : 2016-07-06 08:09:49 共有 1人
折口信夫「死者の書」 では、郎女(藤原南家の姫)が、二上山に現れる幻影(郎女を恋人と思い込む大津皇子の亡霊)に誘われるように、ふもとの万法蔵院(当麻寺)に入り込み、女人禁制を破った咎をあがなううち、死者の亡霊を慰めるため、蓮糸で織った布に曼荼羅を描いています。 当時は、朝起きて最初に目に映る自然の営みで一日の吉凶を占うという風習がありました。 自然の営みが美しいと思えば、その日、一日がいい一日になると思っていたのです。 何故、そう思ったのか。 多くの本に書かれているように、人間は自然の一部だからだと思います。 養老孟司先生の「自分の壁」に、「私の体は私だけのものではない」と書いてあります。 人間の遺伝子の全部解読して分かったことは、遺伝子イコール人体の設計図ではないということでした。 タンパク質の設計に関わっているのは遺伝子中の約1.5%で、残りの98.5%は、そんなことには関わっていません。 何に関わっているのか、実はまだ、よく解っていません。 しかし、30%ほどの遺伝子が、もともと外部のウィルスだったらしいです。 脊椎動物誕生から五億年、ウィルス感染してから、そのまま私達の体に住み着いてしまったようです。 ミトコンドリアDNAによって母親の先祖を遡ることができますが、ミトコンドリアDNAは私達の体の設計図とは別物なのです。 ミトコンドリアも外部の生物が住み着いたという説があります。 私達の体内にある菌だけでなく、私達の体をつくる約60兆の細胞も私達だけのものではない。 「自己を確立せよ」、「個性を伸ばせ」という言葉を使いすぎたため、思考のなかで矛盾が起きて「自分探し」を始める人が多くなったのは分かるような気がしました。 親孝行の本当の意味とは。 人間が最初に付き合う自分以外の人は親です。 「子供は親の言うことを聞くべきだ」 と考えているなら誤解といえます。 親孝行は子供に対して「お前はお前だけのものじゃない」と教えているのです。 極端な話ですが、「特攻隊」の生き残りの人達に、何故、あんなことをしようとしたのか尋ねると、親、家族、故郷、村、国の為だと答えます。 その考え方は、戦後、徹底的に否定され、その延長線上に、個性の尊重、自分らしさ、自己実現が現れました。 「自己」「自我」が日本に導入されたのは明治時代に以降になります。 世間より「自己」が大切ならば、「特攻隊」が野蛮な行為だったと受け止めるのは当然でした。 しかし、今度は「自己」「自我」が大きく膨れ上がってしまっています。 どういうときに「自我」を停止すればよいのか、コントロールができなくなりました。 昨年、 苫小牧沖フェリー火災 織田邦彦さんと家族に見る人間のスゴさ!その勇気を決して忘れません | Dear Judy!! http://dearjudy19.com/archives/1287 という事件がありました。 養老孟司先生は、次のようなことも書いています。 人の間に共通するものはないか。 それは心だということは、戦中を考えたら嫌でも分かることである。 さもなければ、特攻隊が許容される筈がない。 当に一億玉砕なのである。 でもあいつが死んでも私は死なない。 身体は別なのである。 では、心の共通性を保証する身体の基盤とはなにか。 脳というしかないであろう。 デカルトは西洋人だから、脳によって個を立てようとしたのだが、私は日本人だから脳で世間を立てようとしたのである。

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